ノリの生活史発見者ドゥルー女史を顕彰した記念碑

※本記事は、人口採苗を実現した熊本県ノリ研究所元職員の山本文市氏から頂いた記事を記載しています。

熊本県有明海南岸位置する宇土市の住吉神社境内にドゥルー女史の記念碑が建っている。

石碑は地上165cm、幅54cm厚み24cm。石碑の上部にドゥルー女史のブロンズ像(縦43cm幅33cm)が埋め込まれている。

この記念碑は、発起人会発足から約1年後の1963年(昭和38)4月14日に除幕した。筆者は、発起人会発足当初から事務局を務めていた。

ドゥルー女史(Kathleen Mary Drew Baker D.S c.1901~1957)は、英国一流の海藻学者で、多くの学術業績がある。

なかでも、チシマクロノリの生活史を明らかにした糸状体世代発見が、日本のノリ養殖事業に革命的進歩をもたらし、人工採苗技術の基礎となった。

このことは、学術上は勿論のこと、ノリ産業上からも偉大な功績となった。

ドゥルーは、ランカシャーに生まれ、サリスベリーで教育を受け、1922年にマンチェスター大学を卒業。同大学植物学科の講師を2年間勤めたのち、英連邦奨学金制度第1回の奨学生として北米に留学、カリフォルニア大学で2年間海藻学を研究。

帰国して母校工学部のベーカ教授と結婚、家庭の主婦として良き妻、2児の良き母であると共に、母校の隠花植物学研究室の研究員として学生の教育と研究に従事。

1939年にドクトル・オブ・サイエンスの学位を受け、主として紅藻類の発生と細胞学に関するすぐれた論文を多数発表。英国内は勿論、世界の学界に重きをなし、1952年の英国藻類学会創立に努力し、初代会長となった。

1957年までの間に、その執51編に及んでいる。

業績のなかでもチシマクロノリの糸状体期発見と研究(1949・1950~1957年)は特筆すべきものである。

このノリの糸状体期発見前、わが国では夏期をどのように過ごして秋にノリ芽になるのか、二つの派に分かれて互いに論争が続けられていた。

その一つが「果胞子は発芽して小さな葉体となり、繰り返しながら越夏する」という、夏ノリ越夏説。

もう一つは「果胞子は海底で休眠し、秋にノリ芽になる」という、胞子体眠説であった。

熊本県水産試験場鏡分場の太田扶桑男技師(1918~2013)が、ドゥルーの糸状体発見を知ったのは、九州大学水産学部の瀬川宗吉教授(1904~1960)からであった。

瀬川とドゥルーは、戦前から親交があった。

ある日、瀬川が学生を引率して熊本県水産試験場鏡分場を訪れた時のことである。

ドゥルーから届いた手紙には、「①英国の海岸に生えていたチシマクロノリは、1892年にバタースが穿孔性藻類の新種と命名したコンコセリス・ロゼアに類似していたこと。②卵の殻などにノリの果胞子を培養したところ穿孔してコンコセリス(糸状体)となったこと。③日本のノリも、そのようにして夏期を過ごすのではないか」と確認を求めていた。

この手紙は論文発表前と言われている。そのことを聞いた太田は、「バケツで水をかけられた気がした」。そして太田は、直感的に「人工採苗が可能になる」と判断した。

ドゥルーの論文は、1949(昭和24)年に発表された。その論文に刺激された日本の研究者は糸状体の研究を始めた。そして1952・1953(昭和27・28)年に東北水産研究所の黒木宗尚技官らが、アマノリ数種の果胞子はコンコセリス(糸状体)となり殻胞子を形成し、秋にノリ芽となることをつきとめ、ノリ生活史の空白部分を埋めた。

1953(昭和28)年太田は、「培養及び、天然の糸状体殻胞子を用いて、ノリヒビに種付け(採苗)することに成功した。そのノリの生育状態は、天然のものに比較して劣らないものであった」と発表した。

我が国のノリ養殖産業は、人工採苗技術が確立するまでは、自然任せの産物のため、年毎の生産量が不安定であった。

その要因の一つに挙げられるのが、採苗であった。戦後養殖漁家が増えるにつれ、種付け漁場は限られていたため、ノリ養殖漁家は競って、良い場所を求めた。そのため、種付け場所の借地料は年々上昇、漁家の経営を圧迫することになっていた。

一旦不作に陥ると、借金の返済に苦しみ、出稼ぎや夜逃げする事態となるなど、養殖漁家からは自給自足ができることを期待していた。

そして、1962年(昭和37)5月、待望の人工採苗が急速に実用化に向かい、生産量が増大安定化した時期であった。太田は、参集した佐賀・福岡・熊本の44名のノリ養殖漁業者に次のように呼びかけた。「瀬川教授が生前、ドゥルー女史に感謝の意を表すため記念碑を建てたいと考えておられた。ところが1960年(昭和35)11月植物学会出席中に急逝されたので、恩恵をうけた私たちが、瀬川教授の意志を受け継ぎ記念碑を建立しよう」と提案した。

この提案に対して、参集者全員が賛同し、発起人会結成となった。そして「①募金活動は、全国各地区のノリ研究会やノリ関係研究機関に趣意書を配布する。②強制や割り当てはしない、心から賛同する人に寄付して貰う。③募金の締め切りは8月末」と決めた。

しかし6か月経過した年末になっても予定額を大幅に下回っていた。

そこで、発起人会では、①さらに各方面に働きかけて、予定額に達しない場合は発起人が負担してでも見切り発車すること。②1963年(昭和38)4月建立目標と決めた。

翌年、1963年2月発起人会の代表は、建設候補地選びを有明海沿岸の佐賀・福岡・熊本で行い、有明海を一望できる熊本の住吉山に決定した。

ドゥルー女史のブロンズ制作は、彫刻家の富永朝堂に依頼、富永は趣旨に賛同し、木刻部分は無料、京都に鋳造依頼分は実費でと快諾した。

このほか、福岡市在住の藤田幸平(RKB映画社)、田中晴夫(玄洋工業)、時田郁(北海道大学教授)は企画設計などに協力した。

同年3月の発起人会は、建立準備委員会に切り替え、委員長に熊本県畠口漁協長の田口仙三、副委員長に福岡県江の浦漁協長石田兵次、佐賀県鹿島漁協長石田栄三、熊本県網津漁協研究会長富永文雄、その他常任委員6名、参与、顧問を選任した。地元網津漁協研究会員は総出で建立候補地の整備から、記念碑の建立など全面的に協力した。

除幕式当日1963年4月14日は晴天に恵まれた。ドゥルー女史の夫ライト・ベーカー教授、瀬川静子夫人を主賓に、富永朝堂、熊本県知事(代理森永商工水産部長)、宇土市大和三市長ら150名が出席し、漁民の運営によって除幕式が挙行された。

式典では、瀬川が生前に盛岡で講演した「ドゥルーのノリ糸状体発見と人工採苗」と題した録音テープが流され、次いで瀬川夫人と太田が除幕した。

また、任地インドから参列したライト・ベーカーが「私はみなさまの真心と表現の美しさに深く心をうたれた。妻の功績を認めた誠意は、遠く離れた私たちは何時までも忘れることはないだろう」と謝辞を述べた。

以来ノリ関係者は、毎年4月14日にドゥルー女史記念碑の前に集まり、「ドゥルー祭り」として顕彰を続けている。神事のあと、過ぎた漁期を反省し、来る漁期の対策について話しあってきた。

2001(平成13)年のドゥルー祭は、ドゥルー生誕100年という記念すべき年であった。宇土市田口信夫市長の提案によって、住吉・網田漁業協同組合長や、記念碑建設発起人会など24名が、ドゥルー生誕100年記念事業実行委員会が組織され、式典及び関連事業が開催された。

式典には、ドゥルーの子息ジョン・ベーカー夫妻が英国、息女のフランシス・ビッグ夫妻が豪州から、瀬川宗吉の息女北野順子、英国大使館員、熊本県関係者、記念碑建立関係者、ノリ関係者など約300名が参列し盛大に行われた。

ジョン・ベーカーは「私たちは、式典に招待され光栄です。母のことを思っておられることに感謝します。母は自分の研究が多くの人々に利用されていることを知り大変喜んでいました。私と妹は糸状体培養に用いるゆで卵の殻をむき、薄膜を剥いだりして手伝っていたことを思い出します。父は除幕式に招待され大変喜んでいました。」などと謝辞を述べた。式典の後、両夫妻は、式典に参列できなかった熊本市在住の太田を表敬訪問した。

ドゥルー女史記念碑の碑文には、次のように記載されている。

糸状体の発見者ドゥルー女史記念碑

「ドゥルー女史(ベーカー教授夫人)は、英国一流の海藻学者で、紅藻類の

生活史に関する幾多のすぐれた業績があり、1949 8年(昭和24)にはのりのコ

ンコセルス世代(糸状体)を発見した。以来、わが国のノリ生活史の研究が進み、1953年(昭和28)熊本県水産試験場鏡分場の太田扶桑男技師によって、ノ人工採苗ができた。わが国ののり養殖事業はドゥルー女史の糸状体発見を土台とする人工採苗技術の発達によって今日の隆盛を見るに至った。

女史は実にわがのり業界の恩人と称すべく、その功績を讃え、遺徳を敬慕してここに記念碑を建てる。」1963年(昭和38)4月14日除幕

なお、2013年(平成25)50回ドゥルー祭は、1月に95歳で永眠した太田扶桑男氏の追悼もかねて挙行された。

参考資料

1)太田扶桑男(1953):ノリ人工種付けと養殖に関する研究(熊本県水産試験場)

2)太田扶桑男(1956)海苔人工種付け技術(講習会資料)

3)時田郁(1962):ドゥルー女史の功績(太田あての書簡)

4)吉田宜継(1962)ドゥルー女史記念碑建立募金趣意書

5)太田扶桑男(1983)コンコセリスとノリの養殖東書[生物]

6)ドゥルー女史生誕100年記念実行委員会(2001)

7)宇土市教育委員会(2009):『新宇土市史通史編第1巻』第6章

生活の中の自然第1節 1ノリ養殖(山本文市著)

8)宇土市教育委員会(2009):『宇土の今昔百ものがたり』第90話

ノリ養殖とドゥルー女史の功績(山本文市著)